LOGIN第十五話 恋慕《れんぼ》
秋になり、人肌恋しい季節になってきた。
これは現代でも変わらないことであろう。
「なんか、このままも寂しいわよね……」 と、ある妓女が言う。
「このままって?」
「この仕事をして、年季が明けても身請けもなく、最後は河岸見世とか……」
多くの妓女の悩みでもある。
妓女が身請けをされるのは、花魁クラスである。 稀に中級妓女でも身請けはあるが、ほんの一握りの話しである。
この時代にマッチングアプリなんていうものは無く、心を満たされる妓女は、ほぼ存在しない。
妓女を身請けするというのは、男性にとっても莫大な金が必要となる。
ここで妓女を指名するのは金持ちでも妻帯者が多いので、身請け出来ない男性が多い。
「あぁ……私の年季が明けてからの人生はどうなるのやら……」 なんてボヤく妓女も増えてくる季節でもある。
(そんなものなんだな……) 横で聞いていた梅乃は、分からない感覚であった。
そして梅乃は小夜と話していると
「私、わかるな~ 私だって、いつかは結婚したいもん」
小夜の願望に、梅乃は
(小夜、思ったより大人なのかも……) 少し出遅れたような気持ちになっていた。
ここ最近、梅乃の顔立ちがハッキリして大人びてきた。
大きい瞳は変わらないが、子供の顔立ちから抜け出してきていた。
しかし、変わらないのが小夜である。
クリッとした目、小さい口元など幼さが抜けていなかった。
(なのに、負けた気がする……) 梅乃は、少し悔しがっていた。
午後、梅乃は勝来の部屋に来ていた。
そして、雑談の中から
「姐さんは、誰かに身請けされたいですか?」 梅乃は、唐突に勝来に聞いていた。
「そうねぇ……でも妓女になったばかりだから、そんな事は考えられないわ」
「そうですよね。 菖蒲姐さんはどうですか?」
「私も同じ……まだ十五だし、借金の返済が始まったばかりだもん」
梅乃と小夜は、禿の仕事をしていても借金の返済にはならない。
妓女として働いてからカウントされる為、禿や新造までは借金が膨らむようになっている。
(途方もなく、先の話しだ……) 梅乃は、目が点になっていた。
「私なんて、菖蒲姐さんの後でいいわよ」 勝来がそう言って、クスクスと笑っていた。
「勝来の方が位も高いし、見つかるのが早いわよ」 菖蒲も挑発に負けじと返していた。
(なんだかんだで、楽しそうだな……) 梅乃にも悪い気はしなかった。
とある午後、妓女の一人が九朗助稲荷に向かっていた。
「あれは? 田野丞《たのじょう》様……」
こう言った妓女は蘭《らん》、三原屋の下級妓女である。 二十七歳になるが、借金の返済もまだまだ残っており、年季が明けるのは まだまだ先になりそうな妓女である。
「あれって、長岡屋の……」 蘭の手が震えていた。
それから蘭は、妓楼に戻ってからも機嫌が悪かった。
(なんなのアイツ……)
蘭は、田野丞に惚《ほ》れていた。 田野丞は、江戸でまあまあ人気の歌舞伎役者である。
「私の事、好きって言ってたのに……」 そして、田野丞からプレゼントされた べっ甲の櫛を畳に投げつけた。
“しーん……” 一階の大部屋が静まり返った。
「んっ? どうした? 蘭……」 采は、蘭の異変に気付く。
「いえ、お婆、何も……」 蘭は、慌てながらも平然を装《よそお》った。
そこに小夜が蘭に話しかけた。
「蘭姐さん。 髪、結いをしましょうか?」
「あ、えと、お願い」
そして髪結いを終えると
「蘭姐さん、今日も綺麗です♪」 小夜が誉める。
すると、 「なのに……なんでよーっ」 蘭は大声で叫んだ。
“ビクッ ” 小夜は堪《たま》らず、身をすくめる。
「ちょっと来な」 采も、たまらず声を掛け、蘭を奥の部屋に連れていった。
「特に、悪い所はありませんよ……」 医者の赤岩が言う。
「なんだい? 何があったんだい?」 采は蘭に聞いたが、
「特に、何も……」 この返事であった。
そして夜見世の時間になると、
「蘭、指名だよ。 田野丞って方だよ」 采が伝えると
「はあ……」 ため息をついて、支度をしていた。
「あの……私、付きましょうか?」 梅乃が蘭に声を掛けた。
「そう? お願いするわ」
(察しが良いな、梅乃は……) 采は感心していた。
そして梅乃は、蘭の供をして引手茶屋に向かっていた時、
「大丈夫ですか? 姐さん」 梅乃は、蘭の異変に気付いていた。
「何が?」 知らん顔をして歩く蘭の様子は、苛立《いらだ》ちが隠せていなかった。
そして、引手茶屋で田野丞と蘭は話しを始める。
梅乃は部屋の外で待機をしていたが、そこに長岡屋の妓女が現れた。
梅乃は、長岡屋の妓女とは話したことはないが、喜久乃の見世の妓女と知っていたので頭を下げると、長岡屋の妓女が蘭と田野丞が話している所に目を向ける。
長岡屋の妓女が数秒、蘭を見てニヤッとしていた。
(なんか、嫌なものを見た……) 梅乃は、この場所を去りたくなっていた。
いくら子供でも、妓楼に居れば知ってくる。 この一目で、どっちが有利か分かってしまった。
そして三原屋に向かい、酒宴が始まった。
小規模な酒席だが、蘭の格では充分すぎる酒席である。
そして、梅乃が蘭を見ると、ソワソワして落ち着かない姿が目に入る。
(蘭姐さん、まさか この客を……?) 梅乃は、察してしまった。
そして一時間ほどが過ぎ、二人の空気が温まってきた頃
“ガシャン ” 田野丞が、酒や小料理が乗っている膳《ぜん》をひっくり返した。
「それが何だって言うんだい?」 田野丞の声が響いた。
「だから、それは……」 蘭は、言葉に詰まっていた。
まだ子供の梅乃くらいの年齢の子から見たら、痴話喧嘩にしか見えないが、ここは妓楼である。 色恋話しが飛び交っても不思議ではない。
ただ、この状況は違った。
男が嫉妬をして喧嘩になるのは普通だが、今回は蘭が嫉妬をしている。
明らかに逆のパターンで梅乃も困惑していた。
(マズいな……これはお婆に相談で良いのかな?) 短時間で梅乃は冷静に考えていた。
「あの……蘭姐さん、これは……?」 相談しようと思っていたが、梅乃は口に出してしまった。
「―はっ」 蘭は、梅乃の手前、慌てて冷静を装った。
「なんでもないよ」
(これ以上の詮索《せんさく》はマズいか……) 梅乃は、知らず知らずのうちに空気が読めるようになっていた。
そして数日後、田野丞は吉原に来ていた。
引手茶屋で妓女を待つ姿を梅乃が見つけた。
(あの客は、蘭姐さんの……)
しばらく梅乃は、田野丞を目で追っていた。
「お待たせしました」 そこに現われたのは中見世の妓女であった。
(そうだよね……客は誰でも指名できるし、蘭姐さんだけが妓女じゃないし……)
梅乃は気にすることなく妓楼に戻っていったが、
「なんでよ……うぅぅ……」 蘭は泣いていた。
田野丞が色々な妓女と遊んでいる事を、他の妓女から伝えられたようだ。
(色恋を商売にしている妓女としては失格だ。 しかし、妓女と言っても女だ……)
そんな蘭を見ていて、堪らず梅乃は横に座った。
特に何かを言う訳でもなく、ただ黙って横に座っていた。
「梅乃……私、情けないよね」 蘭がポツリと呟いた。
「いえ……」 梅乃は、それしか返せなかった。
色恋も知らぬ、十歳の娘が応えられる訳がなかった。
「梅乃……これ、あげるよ」 蘭は、帯の間から櫛を出した。
べっ甲の櫛、田野丞からプレゼントされた櫛であった。
「売ったらいいんじゃないですか?」
「それも癪《しゃく》に障るしね……」 蘭はニヤッと笑う。
「なら、ありがとうございます」 梅乃は受け取った。
「私を身請けしてくれる人が現れるといいな……そして、私だけを好いて、私が その人だけを好いて……そんな夢みたいな話しは無いか。 あはは……」
涙目で話す蘭は、女の子だった。 妓女という仕事をしているが、この姿は普通の女の子だった。
「……」 梅乃は黙ったままである。
「蘭、菖蒲の宴席に入ってくれるかい?」 采が、蘭に仕事モードに引き戻した。
「はーい」 蘭は、二階に向かっていった。
翌朝、梅乃は早起きをしていた。
「眠い……」 片山は、眠たそうに見世の前を掃除していた。
「潤さん、おはようございます」 梅乃は元気な顔で挨拶をする。
そこに、蘭も見世の前に出てきた。
「蘭姐さん、おはようございます」 梅乃が声を掛けると、蘭はニコッとして
「私も掃除しようかね~」 と、言って梅乃が持っていたホウキを取り上げた。
「―?」
そして蘭が見世の前を掃き始め
「店の前も、私の心も綺麗にしようと思ってね♪」
蘭は少女のような笑顔をしてみせた。
「あはっ♪」 梅乃は元気になった蘭を見て、同じような笑顔になっていく。
それを見ていた文衛門は、
(本当に梅乃は、小さいお天道様だよ) 心の中で呟いていた。
その日から蘭のため息が消え、積極的に仕事をこなしていく。
「蘭、指名だよ! 田野丞様だって」 采の言葉にも蘭は笑顔だった。
「はい、お婆。 たんまり使わせてやりますわ♡」 蘭は笑顔で、お金の形を指で作っていた。
それを見ていた梅乃も、『稼げる妓女』になりたいと思うのであった。
第四十九話 接近 春になり、梅乃と小夜は十三歳になる。 “ニギニギ ” 「みんな よくな~れ」 桜が咲く樹の下、禿の三人は手を繋ぎジャンプをする。 「こうして段々と妓女に近くなっていくね~♪」 小夜はワクワクしている。 (小夜って、アッチに興味あるんだよな~) 梅乃は若干、引いている。 「そういえば、定彦さんに会いにいかない? 『色気の鬼』なんて言われているし、そろそろ習わないと……」 小夜は妓女になる為に貪欲であった。 「なら、お婆に聞かないとね。 定彦さんもお婆に聞いてからと言ってたし」 梅乃たちは三原屋に戻っていく。「お婆~?」 梅乃が声を掛けると采は不在だった。「菖蒲姐さん、失礼しんす」 梅乃が菖蒲の部屋に行くと、勝来と談笑をしていた。「何? どうしたの?」 菖蒲が聞くと、「あの……定彦さんから色気を習いたいのですが……」(きたか……) 菖蒲と勝来は息を飲む。「あのね、梅乃……お婆は会うのはダメと言っているのよ……」 菖蒲が説明すると、「そうですか……」 梅乃は肩を落とす。「理由は知らないけど、そういうことだから」 梅乃が小夜に話す。「理由は知らないけど、お婆がダメと言って
第四十八話 鬼と呼ばれた者とある午後、菖蒲と勝来で買い物をしていた。 本来なら、立場的に御用聞きなどを頼めるのだが気晴らしがてらに外出をしている。 「千堂屋さんでお茶を飲みましょう」 菖蒲が提案すると、勝来は頷く。 「こんにちは~」 菖蒲が声を掛けると、 「あら、菖蒲さん。 いらっしゃい」 野菊が対応する。 「お茶と団子をください」 妓女である二人だが、年齢でいえば少女である。 こんな楽しみを満喫してもいい年齢だ。 そこに、ある張り紙が目に入る。 「姐さん、あれ……」 勝来が指さすものは、注意書きであった。 そこには、『円、両 どちらも使えます』という張り紙だった。 明治四年、政府の発表では日本の通貨が変更される事だった。 吉原では情報が遅く、いまだに両が使われていた。 通貨の変更から一年が過ぎ、やっと時代の変化に気づいた二人だった。 江戸時代であれば、両 文 匁などの呼称であったが、明治四年からは、円 銭《せん》 厘《りん》という通貨になっていた。 ただ、交換する銀行が少ない為に両替ができない場合もあり、両なども使えていた。 「時代が変わり、お金も変わるのね~」 実際、働いたお金のほとんどが年季の返済になっていて、手にするお金は小遣い程度だ。 価値などは分からなくて当然だった。 三原屋に帰ってきた二人は、采に通貨の話をすると、 「あ~ なんか聞いてたな……そろそろ用意しようかね~」
第四十七話 遊女の未来明治六年 三月。 政府の役人が礼状を持ってきた。「去年の秋にお達しが来ているはずだ。 妓女を全員解放するように」「はぁ……」 文衛門は肩を落とす。明治五年の終わり、政府からの通知が来ていた。日本は外国の政策に習い、遊女の人身売買の規制などを目的とした『芸《げい》娼妓《しょうぎ》解放《かいほう》令《れい》』が発令される。遊女屋は「貸《かし》座敷《ざしき》」と改名される。 そして多くの妓女は三原屋を出て行くことになる。妓女のほとんどが「女衒」や「口減らし」を通して妓楼へやって来ているからだ。そういった妓女を対象に解放をしなくてはならない。三原屋では妓女の全員と古峰が対象となる。 梅乃と小夜は捨て子であり、三原屋で育っているからお咎《とがめ》めはない。再三の通告を無視し続けていた吉原にメスが入った形だ。「お婆……私たち、どうすれば……」 勝来と菖蒲が聞きにくると、「ううぅぅ……」 采は悩んでいる。妓女たちも不安そうな顔している。「ちょっと待っててください」 梅乃は勢いよく三原屋を飛び出す。「どこ行ったんだ?」 全員がポカンとしている。梅乃は長岡屋に来ていた。
第四十六話 袖を隠す者 昼見世の時間、禿たちは采に指示を受けていた。 「いいかい、妓女として芸のひとつは身につけておかないとダメだ! 舞踏、三味線、琴でもいい…… わかったね!」「はいっ!」 三人は元気に返事する。 この冬を越えれば梅乃と小夜は十三歳となる。 菖蒲や勝来は十四歳の終わりに水揚げをし、十五歳になったら客を取る準備をしなければならない。 それまでの準備期間となる。「まだ早いんじゃないか?」 文衛門が采に言うと 「あぁ、そうだね……早いかもね」 采は冷静な口調で返す。 「だったら何故……」 「今、しなかったらアイツ等は ずっと悲しんでるだろ? 気を逸《そ》らしていくのさ」 采は、そう言ってキセルに火をつける。 これは、采の考えがあっての行動である。 赤岩の死後、落ち込んだ空気を一変させる必要があったのだ。 これは禿だけではなく、三原屋や往診に出た見世にも言えることであった。 これにより、三原屋の妓女は禿たちに芸を教えることになる。 二階の酒宴などで使う部屋が練習部屋になっている。 古峰は琴を習っていた。 その要領は良く、習得が早い。 教えていたのは信濃である。「古峰……アンタ凄いわね」 信濃は目を丸くする。「い いえ、信濃姐さんが優しく教えてくれるので……」 古峰が謙遜すると、「嬉しい事を言ってくれる~♪」 信濃は古峰の肩を抱く。
第四十五話 名も無き朝深夜から明け方にかけて、岡田は梅乃の身体を温めていた。心配もあり、以前に玉芳が使っていた部屋を借りている。「梅乃、まだ寒いか?」 声を掛けると、「うぅぅ……」 声は小さいが、かすかに反応を見せる。 (よかった……) 岡田は梅乃と同じ布団に入り、体温の低下を防いでいた。 そこに小夜と古峰が部屋に入ってくる。 「梅乃―っ 大丈夫…… って……あの、何を……?」小夜と古峰が見たものは、一緒の布団に入っている二人の姿だった。「いやっ― これは体温低下を防ぐ為にだな……」 岡田が説明していると、「そんなのは、どうでもいいです。 梅乃はどうですか?」小夜は顔を強ばらせている。「体温は戻ったようだ。 何か温かいものを飲ませてくれ」 岡田は布団から出て、赤岩の部屋に向かった。外は、まだ暗いが朝が近づく。これから妓女たちは『後朝の別れ』をしなくてはならない。 岡田は息を潜めるように赤岩の横に座った。二階も騒がしく、菖蒲、勝来、花緒の三人も後朝の別れを始める。二階を使う妓女たちは、朝の目覚めの茶を入れる。そして客が飲み干し、満足そうにしたら後朝の別れとな
第四十四話 静寂の月赤岩が布団で横になっている。 そこに梅乃が看病をする。 岡田は中絶の依頼を受け、妓楼に向かっていた。「先生、しっかり……」 梅乃が赤岩に声を掛けている。 大部屋の妓女たちも赤岩の部屋を見てはザワザワしていた。「お前たち、さっさと支度するんだよ! 仕事しな、仕事……」これには采も見かねたようだ。夕方、妓女たちは引手茶屋に向かう。 その中には小夜や古峰もいるが、梅乃は赤岩の看病で部屋に籠もっていた。「先生……私はいます。 まずは安心して休んでください」 梅乃は濡れた手ぬぐいで赤岩の身体を拭いている。「梅乃……」 小さな声が聞こえる。 これは赤岩がうわごとの様に発している。 「先生……私はここにいます」 この言葉を何度言ったろうか。 やり手の席には采が座っているが、落ち着かない表情をしていた。そこに引手茶屋から妓女が客を連れて戻ってくる。 これから夜見世の時間が始まる合図である。梅乃は部屋から出て、客に頭を下げる。 時折、笑顔を見せては客を歓迎していく。 この笑顔に采は悲痛な思いを寄せていた。客入りの時間は岡田も三原屋に戻ってこられない。 もし、終わっていても何処かで時間を潰さないとならない。 客に安心を与える場所であり、夢の時間を